心臓の病気-生体弁に換えて元気取り戻す
ボニーさん
(44歳・女性・栃木県)
きっかけは2003年の秋に受けた主人の会社の健康診断でした。私の心臓が肥大していて弁膜症が疑われたため、住まいの近くの宇都宮済生会病院で心臓のカテーテル検査を受けたところ、「僧帽弁狭窄兼閉鎖不全」と診断されたのです。一人娘がまだ二歳で子育てのまっ最中だったので、主人ともども大きなショックに打ちひしがれました。
幼時のリウマチ熱で弁膜症に
イギリス在住中に知り合って結婚した主人とともに来日して2年目のこと。私は韓国生まれで日本語がよく分からず、テレビにも新聞にもなじめず、この病気に関する情報はほとんど得られません。重大な心臓の病気ということで不安が大きく、一時はイギリスに戻って治療しようかと考えたほどです。
それまで心臓に病気があるなどとは想像したこともありません。少し疲れやすく、ときどき動悸を感じたりしたことがありましたが、出産や引っ越しが続き生活環境に大きな変化があったため、ストレスや疲れがたまっているのにすぎないと思っていたのです。幸いにも、済生会病院の医師から慶應義塾大学病院を紹介され、東京に出て心臓血管外科の四津良平先生に診てもらうことになりました。病気について質問すると、専門用語などを含めて先生は英語で丁寧に説明してくださるので、治療のことはすべてお任せすることに決心しました。
「薬による治療法はありませんか」と相談したところ、先生は「あなたの場合は難しい」とおっしゃいました。循環器内科の先生方とも討論して出した結論だったのです。先生からビデオなどを使って心臓手術の説明を聞くうちに心が決まっていきました。それからは「早く手術をすませて元気になりたい」と思うようになり、初めて慶應病院を訪ねてから約2カ月後に手術を受けました。
私の弁膜症は、幼いころリウマチ熱にかかったのが原因らしいのです。母に聞いても、リウマチ熱にかかったことは覚えていませんでした。しかし「風邪が治らない」「熱が下がらない」と病院へ行ったら、弁膜症と診断されて即手術という患者さんもいるのだそうです。私の場合も弁がかなり傷んでいるので、手術を急ぐ必要があったのです。
私は子ども時代から水泳やテニスをやり、活発に動き回っていました。弁膜症の主な症状は、少し運動をしただけでも脈が乱れたり、すぐ疲れたり、動悸がしたりするそうですが、ゆっくり進んでいく場合、それが自分の体の状態だと思ってしまい、なかなか病気の症状とは認識しにくいのだそうです。
子どもを産みたいから生体弁
僧帽弁の手術に先立って、詳しい手術方法について先生とじっくり話し合いました。自分の弁を残して形を修復する「弁形成術」と弁を取り替える「弁置換術」があり、弁置換術が必要な場合は、「生体弁」か「機械弁」を選択します。手術中はもちろん会話ができませんので、事前にすべての場合を想定した術式を決めておかなくてはなりません。
先生のお話を聞いた上で、第一希望として弁形成術、そして弁置換術の場合は「生体弁にしたい」とお伝えしました。機械弁を選んだ場合、抗凝固剤をずっと飲み続けなければならないのです。私はまだ子どもを産みたいと思っていますが、血液をサラサラにするこの薬が妊娠に悪影響を及ぼす恐れがあり、また、ビタミンKが抗凝固剤の効き目を打ち消してしまうため大好きな納豆が食べられなくなるというのです。それに海外旅行のとき服薬に煩わされたくないという気持ちもありました。また機械弁は、心臓に入れたあとカチカチと小さな音がするそうで、そのことも気になりました。結果的に、私の場合は弁置換術を行い、生体弁を植え込みました。ポートアクセス法という患者さんにやさしい方法で手術を受けました。
朝から夕方までかかる長い手術でしたが、目が覚めると手術は終わっていました。汗びっしょりのまま先生が「手術は成功しました」と言ってくれたときは感謝の気持ちが込み上げました。ポートアクセス法は胸骨を全く切らない方法なので術後の回復が早く、手術の8日後に退院しました。その日はちょうど娘の誕生日だったので、最高の誕生日プレゼントになったのです。
摘出した自分の弁をひと目見たかったのですが、主人には見せてくれたそうです。「リウマチ熱の弁ですごく傷んで、ひどく石のように一塊となっていてバラバラ寸前の状態だった。あれではとても修復など無理だ。こんな心臓でよくも子どもを産んでくれたね」と感心していました。
弁膜症の詳しい検査を受け始めたころは、疲れがひどく子供の面倒も見られませんでしたが、手術を終えてからこの4年間ずっと素晴らしい体調が続いています。先生に命を授かったという感じです。しかし手術後は私も第一級の身体障害者です。今はしっかり栄養のことを気にかけ、太ると心臓に負担がかかるのでジョギングなどにも努めています。英語塾を開講し、パートタイムで働いていても、もう疲れることはありません。
私は家族の愛に支えられて手術を乗り切りました。特に主人と義父には心から感謝しています。移植した生体弁は時とともに劣化してくるので、そのときは再手術を受けることになるかもしれません。そのうち人工心臓弁もさらに進歩してくるはずですが、責任をもって2回目の手術を受けたいと思います。
【担当医からのひとこと】
術式をしっかり相談してから
ボニーさんの場合は、ご主人の会社の健康診断を受けて初めて弁膜症と分かり、私のところに紹介されてきましたが、今後の治療方針を決めるために入院検査を受けてもらいました。地元の病院で胸部X線(レントゲン)や心電図、心エコー検査をしましたが、当院でも心エコー検査と心臓カテーテル検査を行いました。その結果、僧帽弁の逆流の度合いが非常に強いことが分かったのです。
「僧帽弁狭窄兼閉鎖不全症」というのは、心臓にある4つの弁のうち僧帽弁の開口部が狭くなる「狭窄」と、弁がきちんと閉じなくなる「閉鎖不全」が併発している状態です。狭窄を放っておくと、心房細動や脳血栓塞栓症などの合併症を引き起こす恐れがあり、また閉鎖不全は心臓が血液を拍出する量が減少してきます。どちらも心不全につながります。
心臓手術は通常、胸の中心の胸骨を切り開いて行うので、身体にはかなり大きな負担がかかり、そこから感染症を起こす危険性もあります。しかしボニーさんには侵襲の少ない『ポートアクセス法』で手術できると考えました。
手術室では麻酔中の患者さんと話せませんから、手術前によく話し合って、すべての場合を想定して術式を決めておかなくてはなりません。ボニーさんはあらかじめ、弁形成術が駄目な場合は生体弁による弁置換術を選びました。ウシやブタの組織を使った生体弁は、組織が傷んでくるため、数十年後に再手術が必要になる可能性があります。手術が怖くて再手術を避けたい人は、機械弁を選ぶことが多いようです。しかし、機械弁は抗凝固薬を一生飲み続ける必要があります。
それぞれにメリットとデメリットがありますので、患者さんの生活習慣や人生設計に合った弁を選択することが重要であると考えています。
■ 人工心臓弁
心臓の弁が狭窄や閉鎖不全で機能しなくなった場合、元の弁を人工心臓弁に置き換える手術(弁置換術)が行われる。人工心臓弁には、牛や豚の生体組織を利用した「生体弁」と、チタンなど金属製の「機械弁」がある。ふつう生体弁は10~20年後に再手術が必要だが、抗血栓性に優れ、逆に機械弁は耐久性に優れるが、血栓予防の服薬が必要。この長短を考慮し生活習慣や人生設計に合わせて選択される。