一般社団法人 米国医療機器・IVD工業会

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第1集

心臓の病気-簡便血液検査で素早く診断

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もともと僕は病気には無頓着で、痛くてもぎりぎりまで病院へは行きません。でも近くの鵜澤医院には毎月のように通い、先生の忠告に従っていました。実は20年ほど前から腎臓や肝臓がよくないと言われ、血圧を下げる薬などいろいろ処方してもらっていたのです。

約8年前、デパートの画廊で絵を見ているとき、胸にグーッと痛みがきました。「これはおかしいぞ」と不安になって鑑賞を中断して帰宅することにしました。妻に電話で「駅まで迎えにくるように」と頼みましたが、電車が駅に着くころには痛みは治まっていました。次に鵜澤医院を訪ねたとき胸が痛んだことを話すと、先生は検査をして「狭心症の疑いがありますね。いざというときはこれを使いなさい」と血液拡張剤をくれました。でも、一度も使うことはありませんでした。

猿田博さん
(69歳・男性・千葉県)

薬では治まらない激痛

ところが2007年4月のこと。夜寝ると、みぞおちあたりがカリカリして苦しいのです。「胃が悪いのかな、それとも食べ物のせいかな」などと思っていたら、次の夜も同じ症状が起こりました。そしてその翌日、朝食のあと胸苦しさがきつくなったので、鵜澤先生に診てもらおうと決心しました。

医院まで2キロほどの道のりなので、いつもなら健康のためにと歩いて行くのですが、あまりに苦しいので「これは駄目だ。途中で倒れたら、携帯電話もかけられないぞ」と自分で運転して車で行ったのです。酔っ払いみたいにふらふらしながらも、頭のほうははっきりしていました。

鵜澤医院にたどり着くと、すぐ先生に助けを求めました。胸の圧迫感がひどく、死んだほうがマシと思ったくらいの激痛に襲われたのです。薬を舌の下に含みましたが、痛みは取れません。それでも先生は心筋梗塞を疑って心電図を記録し、さらに看護師さんに採血を命じました。間もなく「心筋梗塞に間違いない。すぐ救急車を呼んで」と先生の声。後から聞いた話では、心電図には異常は出なかったものの、新しい簡便血液検査法で心筋梗塞と診断できたのだそうです。

待合室で患者さんたちに懇願する看護師さんの声が聞こえました。「患者さんに緊急事態が発生しました。先生も一緒に救急車に乗って医療センターへ連れて行きます。申し訳ありませんが、出直してくれませんか」。国道は折悪しく渋滞していましたが、救急車を呼んでから15分もかからないで病院に到着しました。

同乗した鵜澤先生が病状に関するデータを説明してくれていたので、病院側の手際はよく、何もかもとんとん拍子で進行しているようでした。病院に着いてから記録した心電図には、心筋梗塞を示す異常がはっきりと出て、すぐ手術室に運び込まれました。間もなく太ももの付け根からカテーテルが挿入されました。麻酔はその部分だけですから意識があり、管が心臓に向かって進んでいく途中でときどきジリジリッとするのを感じました。

かかりつけ医院に助けられる

入院は約2週間に及びましたが、手術の2日後には主治医がビデオを見ながら手術の様子を説明してくれました。最初から最後までビデオに撮ってあるのです。カテーテルが心臓に達すると、詰まっていた冠動脈が太くなって動脈血がパーッと流れ始めるのが分かりました。残りの2本の冠動脈は細くくびれていて、ほとんど血流がないらしいのです。これを回復させるには、また血管に造影剤を入れる必要がありますが、私は腎臓が悪くクレアチニンの値がかなり上がる恐れがあるため、断念することになりました。クレアチニンの値が高くなると、人工透析の治療を続けることになる可能性があるのです。

手術を受けてからは胸の痛みは完全に治りました。しかし手術後、膀胱までさし込まれていた導尿管を抜くときの痛さには参りました。挿入するときは胸の圧迫感がきつかったので、痛さを感じる余裕がなかったのでしょう。

ともかく今回は、かかりつけの鵜澤先生のおかげで命拾いをしました。心電図に心筋梗塞の兆候が現れるのを待っていたら、手術がもっと遅くなってしまったはずです。先生が新しい簡便血液検査法によって早めに発見してくれたので、心筋が壊死してしまわずにすんだのです。その最先端の技術にも感謝しています。僕は狭心症の兆候があり心筋梗塞になる可能性が高いので、用心するように警告されていながら、危険な状況に追い込まれたのです。

僕の最後の勤務地は新横浜で、船橋の自宅から片道二時間半かけて電車を乗り継いで通勤していました。外国車の整備や改造設計の仕事が中心で、若い人たちに負けまいと早朝四時半ごろ起きて出かけ、また夜はお酒の席にもしっかり付き合っていたのです。タバコは20年ほど前になんとなくやめましたが、それまでは一日に60本も吸っていました。去年まで体重は76~78キロ、胴回りが110センチもあり、それでも動き回っていたのです。心筋梗塞になる条件がそろっていたのに違いありません。

手術後は入院中に夫婦で共に受講した健康管理インストラクターの指導をもとに、妻の協力もあり、食事や運動に気を配るようになり、体重が65キロ、胴回りも85センチぐらいに減って快調です。かつては成田山の階段を2、3段上がるごとに足を止め息を継いでいましたが、今は考え事をしているうちに登りきっています。65歳の定年後はJR東日本の「大人の休日」が新しい趣味になり、妻と旅行を楽しんでいます。これからも鵜澤先生にはお世話をかけることになると思います。

【担当医からのひとこと】

心電図より早く異常を察知

猿田さんは8年ほど前に一度だけ胸痛を訴えたことがありましたが、それきりで痛みは止まり、以後は発作などは全く見られませんでした。しかし今回は胸痛が治まらず、苦しみながらも自ら車を運転して急いで来院されました。症状からは心筋梗塞が疑われたので、心電図検査を行ないましたが、この時点ではST波上昇などの異常は見られませんでした。

次に採血を行ない、心筋梗塞のマーカーの検査試薬であるトロポニンT定性試験紙を用いて検査したところ、たちまち陽性を示す赤いバンドがはっきり出現しました。心筋梗塞の疑い濃厚です。そこですぐに救急車を呼び、私も付き添って地域の中核病院である船橋市立医療センターに搬送しました。

搬送先で記録した心電図ではST波が上昇し始め、心臓超音波検査でも心筋梗塞を裏づける結果が出ました。猿田さんはすぐ経皮的冠動脈形成術(PTCA)を受け、二週間ほどで退院しました。猿田さんには以前から慢性腎臓病(CKD)があり、それに伴う合併症も心配されましたが、幸いなことにとても元気に過ごしておられます。

簡単に迅速に検査できる検査薬が猿田さんの命を救ったのです。心電図に異常が見られない段階で猿田さんを病院に搬送したことについて、搬送先の先生からもお礼を言われました。それにしても、猿田さんがいつものように徒歩で来院されていたら、途中で倒れていた可能性が大きかったと思います。

*ご寄稿当時。現在は、「鵜澤医院院長/昭和大学医学部客員教授・臨床病理診断学/労働衛生コンサルタント/日本臨床検査医学会認定専門医」(2019年追記)

鵜澤龍一先生
鵜澤医院院長
昭和大学医学部
臨床病理学客員教授
循環器内科・臨床検査専攻*

■全血中心筋トロポニンT検出用試験紙

心筋梗塞かどうかの判定が必要な緊急時、試験紙の上に全血を0.15ミリリットル滴下するだけで、15分以内に結果が出る。試験紙の上で、心筋梗塞のときに上昇する心筋トロポニンTをモノクローナル抗体による免疫反応により特異的に捉えている。試験紙の上に陽性を示す赤いバンドが2本表示されれば、心筋梗塞と判定してよい。簡便、迅速な検査法なので診療所などで十分利用されている。1~2週前に発症した心筋梗塞も確認できる検査である。

写真:トロポニンT定性試験紙
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