一般社団法人 米国医療機器・IVD工業会

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第2集

女性の病気-単なる更年期障害の症状ではなかった

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長い間、教員の仕事に携わってきました。そのせいか、ときどき腰や背中の右半分がって痛みましたが、内臓に異常を感じたことはありません。ただ日ごろ、好きな物を好きなだけ食べて太り気味だったので、「ときどき運動も必要かな」と思い始めていました。

ところが53歳を過ぎたころから月経周期に乱れが現れて、生理用パッドが必要なほどまで無色無臭のおりものの量が増えてきました。痛みやかゆみはないけれど、性交時に痛みが走ったり、不正出血することが多くなりました。でも、これは閉経時によく見られる症状なのだろうと、高をくくっていたのです。

石田 惠代 さん
(69歳・女性・静岡県)

健診がきっかけで精密検査

年に1回行われる職場の健康診断のとき、面談してくれた女医さんに「ときどき不正出血がありますが、更年期障害の一つの症状なのでしょうね」と聞いてみました。すると女医さんは驚きの声をあげ、「すぐに県立総合病院で子宮体がんの精密検査を受けてください」と、半ば命令されてしまいました。

これまで子宮体がん検査は個人病院で2回受けており、2、3年前の検査では「異常なし」でした。子宮頸がんとは違って子宮体がんの検査は、子宮の奥まで器具を挿入して内膜の組織を摘まみ取って調べるので痛みも残り、気分はおっくうでしたが、今回は嫌がっているわけにもいきません。

静岡県立総合病院での内診の結果、やはり子宮体がんと診断されました。「急に進行するがんではなさそうですから、仕事も生活もふだん通りでいいですよ」と言われて幾分ほっとしましたが、MRI(磁気共鳴画像)検査は順番待ちで1カ月先しか予約が取れず、入院などはその後になるとのことでした。

入院となれば、仕事を休むことになり職場の同僚たちに迷惑が及びます。それが一番の気がかりだったので、すぐ私に代わる職員を採用してくれるように上司に頼みました。しかし検査を待っている間にがんが進行しても困りますから、別の病院を探そうと思い立ち、高校の同級生だった伊藤彬さんに相談してみることにしました。

そのころ伊藤さんは東京都江東区の癌研究会附属病院(がん研有明病院)の物理部部長でしたが、「それなら婦人科の平井康夫先生がいいでしょう」とすぐ紹介してくださいました。こうして私の病気に最もふさわしい専門医が見つかったのです。さっそく平井先生の診察を受けるために新幹線で東京へ向かいました。

先生の腕を信頼してお任せ

平井先生は最初の診察時に、「動脈から血を採りますね」と私の左手首にスーッと注射針を入れて1回で採血が終わりました。私は子どものころから血管が見えにくく、注射針を何度もぶすぶすと刺し直されて、苦痛を経験してきたものですから、あっという間の採血に感服してしまいました。

やがて平井先生から内診の結果を聞かされました。「子宮の中にはがん細胞が充満してますね。でも、おとなしい顔つきのがんなので、進行はそれほど速くありません」と説明され、入院と手術の日取りも決まりました。平井先生をすっかり信頼していたので、もう手術の怖さなどは少しも感じませんでした。

いったん静岡に戻って入院の準備を進め、再び上りの新幹線に乗り込みましたが、そのとき亡くなった父が背後から一緒に乗り込んでくる気配を感じて、涙が止まらなくなりました。隣に座っている夫に涙を見せたくなかったのですが、我慢も限界にきていたのです。県立病院であれば、まだMRI検査を待っているころなのに、こんなに早く手術してもらえるのです。子供は2人産んだし、孫もいるし、もう子宮は役目を果たし終えたのだなと納得しました。

先の病院で「がんに間違いない」と診断されたあと、「手術は仕方ないとしても、がん細胞を取り残したままにならないか」とか「背中から注射針を刺して麻酔薬を注入するとき、失敗して下半身にマヒが起こったらどうしよう」とか「お腹を開いたあと長い小腸をいったん外に出しておき、後からお腹の中に戻すらしい」とか、あれこれ心配したものでした。しかし6人部屋の患者さんたちとはすぐ仲良くなれたし、手術の日には「素晴らしいお天気に恵まれましたね」などと喜んでくれました。

手術は、子宮だけでなく、卵巣やリンパ節も取ってしまうと聞き、悪い部分は残さず取ってもらえるのだと納得しました。12月なのに手術室は冷房中のように寒く、「風邪を引かないかしら」などと心配しましたが、そのまま眠ってしまったようです。

「タバコを部屋で吸わないようにとお父さんに言っといたからね」耳元で娘の叫ぶ声がしました。

麻酔から覚めたのです。病室に戻っていて5、6本の管につながれて汗だくなのに、がたがた震えていました。鼻から入れた管がのどに食い込んで痛かったけれど、大喜びしている夢を見ていました。斜めにせり上がってくるダンプカーの荷台で、友人の弾くピアノに合わせて大声で歌って大騒ぎしている夢でした。がんがすっかり体からなくなり、本当にうれしかったのでしょう。

手術後、腰と背中の痛みも消えました。がんで膨らんでいた子宮が周囲の神経を圧迫していたからに違いありません。また、入院中の看護師さんや同室の仲間の優しさは生涯忘れることはないと思います。

再発予防のための抗がん剤治療を受けたとき、髪の毛が全部抜けました。でも帽子やカツラをつけて旅行にも行き、温泉に入るときは黒い網をかぶって、つるつる頭を隠しました。東京女子医大に異動された平井先生に年に一度の検診を受けながら、体操教室、合唱団、ミュージカルの舞台などに参加しています。

それに手術後、夫は家の中ではタバコを吸わなくなり、料理を手伝うようになったのも大きな収穫でした。

【担当医からのひとこと】

子宮体がん早期診断へ精度向上

50~60代の中高年婦人に多く発生する子宮体がんは、1年間に約5000人が診断され、約1000人が死亡しています。近年、増加傾向にありますが、他のがんと同様に早期に発見すれば予後がよく、I期で見つかった場合の5年生存率は90%以上です。

通常の子宮体がんの診断は、内診によって子宮体部から直接細胞を採取する内膜細胞診と組織診によってなされます。このうち内膜細胞診は、組織診断の必要性を判断するうえで最も重要視されており、その診断精度の向上が重要な課題でした。

最近、子宮体がんの早期発見に用いる内膜細胞診に技術革新が進んでいます。一つは内膜細胞を採取するときの痛みを最小にする採取器具の改良です。子宮腔に挿入して細胞を採取するブラシの外径を2.5ミリ以下にし、さらに柔軟性も備えた内膜ブラシが開発されたのです。もう一つは、液状化検体細胞診(LBC)システムが内膜細胞診にも適用されるようになりました。LBCはアメリカで1996年、子宮頚がん検診に用いることが正式に認可されたシステムです。

このシステムでは1回の内膜ブラシによる採取で、多くの細胞を高品質のまま保存液に懸濁(けんだく)して有効利用することが可能です。それにより高品質な細胞標本を複数作成することができるのです。同時に細胞標本の作成を機械化して標準化できるので、従来難しかった細胞診判定方法の標準化が実現でき、診断精度の向上が大いに期待されます。

子宮体がんは更年期、閉経期の女性にとっては身近な病気ですから、不正出血などが気になるときは、まずは細胞診による子宮体がん検診を受けることをお勧めします。

平井 康夫 先生
東京女子医科大学
産婦人科 教授

■ 液状化検体細胞診(LBC)

子宮内腔を擦過したブラシをLBC用の保存液の中ですすぐことにより、採取した内膜細胞を無駄なく保存液中に懸濁して回収できる。また機械的に均一にガラス面に塗抹するので、高品質で均質な細胞標本を何枚も作成できる。そのため免疫染色の診断手法を導入することもでき、細胞採取量が増えたため診断精度が大幅に向上する。内膜ブラシは非常に細く、可塑性もあって挿入が容易なので、ほとんど痛みなく十分な内膜細胞採取が可能になった。

写真:液状処理細胞診システム
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