一般社団法人 米国医療機器・IVD工業会

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第2集

脳の病気-脳内の髄液を 腹腔へ排出

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森山 憲一さん
(82歳・男性・埼玉県)

ときどき痛風などで近くの診療所のお世話になってはいましたが、60歳の定年前から元気そのもので、陶芸に凝り、テニスやジョギング、マラソンなどを楽しんでいました。ところが2007年のある日、家内を連れて片道5キロほどの散歩道を折り返したあと、帰りの上り坂でうっかり転んでしまったのです。

どうしてそうなったのか自分には分かりませんが、家内は「急に歩幅が狭くなって小走りになり、前のめりに倒れた」と言うんです。少し休んで呼吸を整えてから、今度はゆっくり歩き出したのですが、しばらくして再び同じように転倒しました。こんなことは私にとって初めてですから、「ただごとではないな」と感じました。

転んだあとベッドから落下

家に帰ると家内は、すぐ友人の看護師さんに相談して、自宅からそれほど遠くない東京都の多摩北部医療センターを受診することにしました。初診の先生は「症状からすればパーキンソン病のようですが、別の病気の可能性もあります」と、すぐ神経内科へ回してくれました。

神経内科の診断では、検査の結果からひとまず「パーキンソン病の疑い」ということになり、飲み薬をもらいました。それからはもう転ぶこともなく、体調も落ち着きを取り戻して普通の生活ができるようになりました。

それからほぼ2年後、遅い昼寝を楽しんでいたとき、ベッドから落ちるという失態を演じてしまったのです。家内は「ベッドの下でうつ伏せになって、うんうんうなり声を出し、失禁もしていた」と言うんです。

たまたま同居していた孫たちによって、私は布団の上に寝かされていました。家内は秋田で看護師をしている娘に「どうしたら良いか」と大慌てで電話をかけたところ、「今かかっている神経内科にすぐ運びなさい」と半ば命令されたのです。

後から考えれば、少し前から失態の予兆はありました。家の中を歩くときも、パーキンソン病のように足をずるずる引きずっていたのです。それにときどき間が抜けたように頭がぼんやりして、家内に「いよいよ認知症が来たのかも」などと言われたりしていました。

私は家内と孫に付き添われてタクシーで多摩北部医療センターの神経内科を訪ねると、「約1週間の検査入院」を言い渡されました。先の先生はすでに転勤されていて、今度は脳神経外科部長の岡田隆晴先生に診てもらうことになりました。

岡田先生は「MRI(磁器共鳴画像)検査の写真では、脳全体に髄液がたまりすぎて脳の表面のシワがなくなっています。余分な髄液を脳の外に流し出せば、ずるずる歩きも認知症の症状も治まるはずです」とおっしゃいました。

こうしてパーキンソン病とはまったく違う「特発性正常圧水頭症」という診断名がついたのです。水頭症に詳しい岡田先生は、「髄液ずいえきシャント手術」という最新の治療法についても疾患の説明書の絵を見ながら説明してくれました。

弁つきチューブを埋め込む

「頭には傷をつけないで、背骨側からシリコン製のチューブを脊髄せきずいくも膜下腔まくかくうに入れて、もう一方の端を腹腔ふくくうに埋め込む手術です。このチューブには髄液の圧力を感じて働くバルブ(弁)があって、余分な髄液をお腹のほうへ流してくれます」

この手術は岡田先生もすでに数多くこなされていて、しかも半永久的に使えるとお聞きし、家内と一緒に「ぜひ、その埋め込み手術をやっていただけませんか」とお願いしました。症状が落ち着いたあとは、激しい運動でなければ何できるというのも魅力でした。

手術は2011年12月、全身麻酔で行われ、1時間ほどで終わりました。また手術後も具合が良かったのですが、だんだん肩が凝るようになって、ときどき頭痛もするのです。術後検診のとき、この話をしたら先生は、

「脳から逃がす髄液が多すぎるのでしょう。では、バルブを少し閉めて流れを減らしてみます」

と、磁石みたいな器具を体に当てて調節してくれました。こんなことが2回ほどありましたが、それ以後は順調に働いてくれているようです。先生は「体調がおかしくなったら、すぐ来てください。いつでも診ますからね」と約束してくれて安心しています。

手術後1年ほどたったとき、MRI検査を受けました。その画像を見せてもらいましたが、脳の表面から以前の「のっぺり感」はすっかり消えて、シワシワに変わっていました。これは髄液が脳内をほどほどに潤している証拠写真なのです。

かつてのような長距離の散歩はまだまだ無理ですが、手足の筋力だけは保っておきたいと思い、朝は5時ごろ起きて筋トレを続けています。道具はいっさい使わず、本や新聞の切抜きを参考にして体を動かすのが私の日課なのです。

それが終わったら毎日、時間通りのラジオ体操やテレビ体操に切り替えます。ジャンプする場面では、跳び上がれないこともありますが、できるだけ忠実にやろうと心がけています。

最新の医療技術に助けてもらったのですから、ただ生きているだけでなく、健康を保って活動的に過ごしたいものです。つい先週も3泊4日で軽井沢へ行ってきました。私は散歩と朝晩の温泉浴を楽しみ、家内はスキー場で2日間滑ってきました。

今は車の運転は家内任せです。「これからも二人で自立していかなきゃいけないからね」というのが彼女の口癖です。

【担当医からのひとこと】

小股・すり足で歩き失禁・転倒

特発性正常圧水頭症は、70歳以上の方に現れる脳の病気で、主な症状は歩行障害、失禁、認知症です。初期の症状は、長距離を歩けない、早く歩けない、足取りが重い、ふらつく、尿意が近くなる、といった自覚的なものですが、しだいに小刻み(小股)歩行、すり足歩行、つかまり歩行になり、ときどき失禁・転倒するようなります。やがて歩きにくさや失禁のために外出を避けるようになり、記憶障害が始まります。

伝言を忘れる、同じことを何度も尋ねる、注意が散漫になる、ぼんやりしてご飯を食べない、といった症状で始まり、最終的に寝たきり、高度認知症になります。その原因は脳内での「髄液循環障害」です。脳室内にたまった髄液が脳を圧迫することによって発症するので、シャント手術によって髄液の循環を改善すれば症状は消失します。

ただ、この病気は診断がとても難しいのです。歩行障害・失禁・認知症は高齢者にはありふれた症状であり、年のせいにされたり、パーキンソン病、多発性脳血管障害(多発性脳梗塞)、アルツハイマー病と間違えられがちです。小刻み歩行や失禁が外見上明らかになって、初めて家族に連れられて来院する方がほとんどです。私の経験では、初発から手術まで数年から7、8年を要しています。

シャント手術は安全で、苦痛もありません。また手術を行わないで、経過観察、リハビリテーション、間欠的な腰椎穿刺による髄液排除治療などで日常生活動作が改善する場合も多いです。自覚症状の段階で、ためらわずに専門医師(神経内科、精神科、脳神経外科)を受診することをお勧めします。

ただ、この病気は診断がとても難しいのです。歩行障害・失禁・認知症は高齢者にはありふれた症状であり、年のせいにされたり、パーキンソン病、多発性脳血管障害(多発性脳梗塞)、アルツハイマー病と間違えられがちです。小刻み歩行や失禁が外見上明らかになって、初めて家族に連れられて来院する方がほとんどです。私の経験では、初発から手術まで数年から7、8年を要しています。

シャント手術は安全で、苦痛もありません。また手術を行わないで、経過観察、リハビリテーション、間欠的な腰椎穿刺による髄液排除治療などで日常生活動作が改善する場合も多いです。自覚症状の段階で、ためらわずに専門医師(神経内科、精神科、脳神経外科)を受診することをお勧めします。

岡田 隆晴 先生
多摩北部医療センター
脳神経外科 部長

■ 髄液シャント術

特発性正常圧水頭症は、治療可能な認知症の原因疾患である。現在、有病者数は30万人以上とされるが、見過ごされることも多い。その治療は、過剰にたまった髄液を他の体腔に導く髄液シャント術。基本的な脳外科手術であり、VPシャントとLPシャントがよく選択される。症状の改善を促すには適正量の髄液を流す必要があり、チューブ内のバルブでコントロールできる。近年、圧可変式バルブと過剰流量防止装置によって治療効果と安全性が向上した。

写真上:髄液シャント術
写真下:過剰流量防止装置付き圧可変式バルブ
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