一般社団法人 米国医療機器・IVD工業会

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第2集

耳の病気-人工内耳の手術で聞こえを取り戻す

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私は生まれたときも、その後の成長もまったく正常で、言葉の出も早く、2歳になったころ絵本の言葉を暗唱していたそうです。ところが2歳半ごろ、母が話しかけても反応のないことがあり、「耳が聞こえていないのかな」と疑ったと言います。

私にはそのころの記憶はほとんどありませんが、母はすぐ市内の総合病院耳鼻咽喉科に連れて行き診てもらいましたが、診察の結果は「異常なし」。ところが4歳で入った幼稚園の健康診断で、よく聞こえないことに気づかれ、大学病院を受診して初めて両耳とも高度感音難聴であることが分かりました。

Kさん
(女性)

補聴器をつけて普通校に通う

病院では、低音と高音、強弱の音などを聞かせて聴力を調べるオージオメーターで検査をし、さらに聴性脳幹反応を調べた結果、「両耳高度感音難聴」と診断されました。このときは両親がたいへん驚き、落胆したそうです。特に母にはショックが大きすぎて、毎日泣いてばかりだったといいます。

今も原因はまったく分かっていません。家族やきょうだい、血縁の人たちにも難聴者はおらず、聞こえないのは私だけです。私は4歳のとき両耳に補聴器をつけ始めました。また読唇術とくしんじゅつを身につけ、手話ではなく口で話すことでコミュニケーションを図りましたが、あまり聞き取れていなかったようです。

幸いなことに両親や周囲に理解があり、幼稚園から小・中・高とも普通校に通い、大学にも現役で進学しました。しかし大学2年(20歳)のとき勉強することが増えて、授業についていけなくなって結局は留年しました。そのとき大学の恩師から「人工内耳」の手術を勧められたのです。正直なところ、聞こえが良くなるのか期待はしていませんでしたが、駄目でもともとという気持ちで病院を受診しました。

私のように内耳や聴神経に異常があるために起こる感音難聴は、内耳の蝸牛かぎゅうという音を感じるセンサーが駄目になっているので、単純に音を大きくする補聴器ではよく聞き取れないというのです。一方、人工内耳は内耳を直接電極で刺激して音を伝えるしくみだと教わり、補聴器よりも理にかなった方法だと思いました。

とにかく補聴器では授業についていけないだけでなく、就職後の仕事にも妨げになるかも知れません。だから手術の方法や万一の合併症の詳しい説明を聞いても、今より少しでもよく聞こえるようになればと、すぐ手術を受けようと決心しました。2歳のとき聞こえなくなり、20歳までは聞こえが悪いのが当たり前だと思って生きてきたので、これ以上は悪くならないだろうという気持ちが強かったのです。

どんどん進化する体外装置

手術を受けてからは、大げさではなく世界が大変わりしました。手術を受ける前は、聞こえている音の世界がすべてだと思っていたのに、人工内耳の体外装置に初めて音を入れたとき、今まで聞こえていなかった音も聞こえるようになり、毎日が新しい発見と感動の連続でした。

私の人生にとって手術前の生活も、当たり前のことで変わったことはありません。聞こえにくいことはあったけれど、心身ともに元気だし、両親やきょうだい、友だち、先生に恵まれて、けっこう楽しく過ごしてきました。テレビや電話が楽しめないことは残念でしたが、仕方のないことと納得していました。

手術後は、まず入ってくる音の幅が広がりました。補聴器では雨が傘や屋根に当たる音、それにクーラーの作動音が聞こえていませんでしたが、これらの音が聞こえるようになったのです。

しかし言葉の聞き取りは、人工内耳を使い始めたからといって、急によくなるわけではありません。人工内耳の調整を繰り返して、手術後の時間が経過していったことと、体外装置を術後4年目に新しい機種に変えたことで、読唇しなくても人工内耳だけで聞ける内容が増えてきました。

手術してから約10年がたち、現在の体外装置は4台目です。これを新しくするたびに聞こえも変わり、補聴器では考えられなかったテレビや電話も楽しめるようになりました。

手術を受けたのち1年遅れで大学も無事に卒業し、現在は志していた職業に就いて充実した日々を過ごしています。むしろ手術して10年過ぎても、日々進歩しているのだと感じています。

会話を楽しめることが何にも増して一番大きかったと思います。補聴器と読唇を使っていたころは、いま思えば、人との会話にとても神経を使っていました。今でも普通の人よりは聞きづらさはあり、騒がしい場所、遠くの音、大人数での会話は苦手ですが、それでもコミュニケーションがずいぶん楽になりました。相手の言いたいことが分かるのが何よりうれしいです。

実際に手術を受けてみて知ったのは、人工内耳は「手術して終わり」という技術ではなく、むしろ新しいスタートを切るための技術なのではないか、ということです。手術後に最初の音を入れてもらった瞬間、私の耳は生まれ変わったのです。つまり、最初は生まれたての赤ちゃんのように何も分からない状態でしたが、赤ちゃんが成長していくように、私の耳も様々な音や会話を聞いていくうちに、だんだんと聞こえることが増えてきたように思います。体外装置の改良に伴って聞こえが進歩していくので、今後も発展が見込める技術だと感じています。

ただ、今も世間にあまり知られていない技術であることが残念だし、体外装置や付属品、電池などが高額なため、手術に踏み切れない人もいるのではないでしょうか。もしも例えば補聴器のように、装具として公的な補助で解決されるならば、もっと多くの人に多くの音を提供してくれるに違いありません。

【担当医からのひとこと】

人工内耳による聞こえの(再)獲得

日本には現在、身体障害者手帳を受けておられる高度難聴の方が約40万人、中等度難聴の方は約600万人おられます。中等度難聴の方は、補聴器の使用で何とか言葉を聞き取ることができますが、高度難聴の方は補聴器でも言葉を聞き取ることが困難です。

また生まれてくる赤ちゃんの1000人に1人は高度難聴です。徐々に進行して結果的に高度難聴になる子どもを加えれば、日本では毎年2000人ぐらいの高度難聴の赤ちゃんが生まれてくることになります。こうした方々は長い間、聴覚を(再)獲得する手段はありませんでしたが、1970年代から「人工内耳」が臨床応用されるようになりました。

現在は、世界中で数十万人、日本でも6000人以上の方が人工内耳を使っています。人工内耳では、耳の後ろにあるサウンドプロセッサという機器で音を周波数分解して電気信号に変えます。内耳(蝸牛)の中に手術で挿入した電極を通して、残存している聴神経を刺激します。聴神経はその信号を脳に伝え、音(言葉)として理解されることになります。人工内耳は人工臓器の中では最も優れたものの一つと考えられています。

人工内耳で最もよく言葉が理解できるようになる人は、もともと聴覚が正常で、何らかの原因で聞こえなくなった中途失聴者といわれる方です。生まれつきの高度難聴児の場合は、できるだけ早く(遅くとも3、4歳まで)に手術をして人工内耳を通して言語が分かるように訓練する必要があります。人工内耳は年々改良が重ねられ、多くの難聴の方の福音となっており、現在では中等度難聴の方にも使用できるものが開発されています。

人工内耳の機器は高額ですが、手術を受ける際には様々な補助が受けられます。ただ進歩した機器への買い替えには補助がほとんどなく、難聴の方の悩みの種となっています。

伊藤 壽一 先生
京都大学病院 耳鼻咽喉科 教授

■ 人工内耳

手術で側頭部に埋め込む、電子回路と内耳(蝸牛)に挿入する柔軟な電極で構成されるインプラント、それに耳に装用するサウンドプロセッサによって、失われた聴覚を取り戻す人工臓器。補聴器を装用しても十分な効果が得られない高度の感音性難聴者にとって、「音のない世界」から「音のある世界」へ導く大きな福音となっている。日本では人工内耳手術は約30年の歴史があり、健康保険が適用される。人工内耳は手術するだけで聞こえるようになるわけではなく、手術後の適切な聴く練習も重要である。

写真上:インプラント
写真下:サウンドプロセッサ
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