利尿ペプチドをカギに心不全を発見
2009年1月1日
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島田 俊夫 氏 前島根大学医学部附属病院循環器内科診療教授
私どもは約5年前から人口流動の少ない島根県奥出雲地方(飯南町と奥出雲町)の約2,000人を対象に住民健診を続けており、各人について予後を追跡調査中です。当初の平均年齢は男性約65歳、女性約67歳で、全体の55%に何らかの異常が見られました。健康診断を受けにくる住民の大半は自身の心臓に何らの異常も自覚していませんが、潜在性心不全の人が多く交じっており、血圧値の上昇と同様に加齢に伴って増えていきます。それを簡便に判定するのに「NT-proBNP」という心負荷マーカーが非常に役立っています。
心不全とは、何らかの原因で心臓のポンプ機能が低下し、肺にうっ血が起こることにより、全身の臓器に必要な血液を供給できなくなる状態です。肺だけでなく全身にうっ血を来し、呼吸困難、全身倦怠感、運動耐容能の低下といった障害が生じるのです。自覚症状としては運動時の息切れ、呼吸困難、脚のむくみなどですが、加齢に伴いその自覚がマスクされがちです。夜中に何回もトイレに起きるのも、マスクされている心不全のサインである可能性があります。
体内に溜まりすぎた水分を排出できなければ酸素供給がうまくいかないため呼吸困難が増悪します。そこで過剰な循環血液量を減らすために血液をたくさん押し出す力が必要になったとき、心臓自身が降圧・利尿を促進する利尿ペプチド(ホルモン)を分泌して血液をたくさん送り出そうとしますが、このホルモンの代謝産物の一つであるNT-proBNP(ヒト脳性ナトリウム利尿ペプチド前駆体N端フラグメント)が心不全評価のマーカーになるのです。このBNP(ホルモン)は心室から分泌されると考えられていましたが、私どもの研究によって主に心房から分泌されることが明らかになりました。
胸苦しさを訴えたり、心雑音が聴診される患者さんに対しては、私は慢性心不全を疑ってNT-proBNPの血中濃度を測ることにしています。これは血清または血漿1ミリリットルあたり1ピコグラム(1兆分の1グラム)単位で測ることができ、55ピコグラム以上を異常と判定し、125ピコグラムを超えると「心疾患の疑いあり」と判定します。発作性の不整脈は心電図、ホルター心電図ではつかみにくいものですが、NT-proBNPを数回測定することで数値の変動状態から無症状の状態でも発作性不整脈の存在が診断可能になるのです。
NT-proBNPは近年では簡便に測れるようになり、その測定システムは日本でも普及し始めました。血清で測定できるため、他の血液検査と同時に採血した血液を利用することができるのみならず、検体が安定しており、大勢の人を対象とする集団健診にも向いています。このスクリーニング検査で「心不全の異常群」に入った人を精密検査すれば、無症状段階の潜在性心不全の発見につながります。
加齢とともにNT-proBNP値が高くなりますが、これは様々な合併症が増えていくためであり、血圧上昇、不整脈、腎臓機能低下、貧血などの病的な状態を反映していると考えられます。20歳ごろは誰でも通常正常値を示しますが、それが各個人の正常値であって、病気が発生することによって数値が上がっていくのです(マーカーによっては下がるものもあります)。
わが国でも生活習慣の欧米化に伴い、血管障害により命を失う人が増えています。日本では、がんが死因のトップを占めていますが、第2位の心臓病、第3位の脳血管障害を合わせた死亡数はがんに肩を並べるほどですので、血管障害の進展を阻止しなければなりません。心電図では、不整脈は検査時に出現しなければ見過ごされてしまうので、心不全、血管障害を早期発見するバイオマーカーが非常に有効になると思われます。
循環器系は酸素供給のための重要な生命維持のパイプラインです。心臓は安静時に拍動ごとに約60~100ミリリットルの血液を送り出しており、これに異常が起こると十分な酸素を組織や臓器に送り出すことが出来ず生存が困難となります。従来の臨床医学は病気になった人、特に重症化した方々を対象としてきましたが、これではなかなか効果が上がりにくく治療費もかかります。
これからの臨床医学は、患者さん以外に患者候補者、さらに健康な人々へも対象を広げていく必要があります。軽症のうちに治療すれば、病人が減らせて受ける苦しみも少なくなります。そのためには臨床医がかかわる疾病予防センターを設立することも考えねばなりません。どんな病気も、無症状のうちに見つけて手を打たないと、手遅れになってしまいます。健康のありがたさをよく理解し、健康を失わないために自分の健康を管理する施設の一日も早い設立にご協力いただければと切望する次第です。