個別化医療があなたにもたらすもの。
2012年12月1日
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宮田 満 氏
日経BP社特命編集委員
お医者さんにお薬を頂くと、一安心と思っている方も多いだろうが、実は今の薬はあまり効くものではない。解熱鎮痛剤など対症療法の医薬品を除き、医薬品が治療効果を示す患者の割合は驚くほど少ない。2000年に出版された「Pharmacogenomics」という本によると、抗がん剤では全体の70%から100%、喘息でも40%から70%、糖尿病でも45%から75%の患者で既存の医薬品は効果を示さないという。精神疾患、変形関節症から高血圧、高脂血症まで広範な疾患でも事情はほとんど変わらない。
バイオテクノロジーのおかげで、疾患が発生するメカニズムが分子レベルで解明され、21世紀に発売された分子標的薬や抗体医薬などの革新的な医薬品は治療効果がある本物の薬となりつつある。しかし、今年5月にわが国で発売された肺がんの特効薬「ザーコリ」は肺がん患者の4%にしか効果がない。ALKとEML4という遺伝子が融合した特異的なゲノムを持つ肺がん患者だけに効果がある。ザーコリはこうした肺がんで異常活性化しているEML4-ALK融合たんぱく質を阻害する医薬品だからだ。世界で初めて固形がんに治療効果を示した乳がんの治療薬「ハーセプチン」も、乳がんの患者の25%から30%が持つHER2陽性乳がんにのみ治療がある。但し、現在までのデータでは、HER2陽性患者の25%から30%の患者にだけ治療効果があった。つまり、全乳がん患者の5%から10%にしか治療効果がないというのが現実なのだ。
同じ乳がんといっても、実は多様な原因によって生じる。そのため皮肉なことに、切れ味の鋭い分子標的薬や抗体医薬の対象患者は、その分少なくなるという矛盾に直面する。製薬企業からすれば、これは市場の縮小に過ぎない。また逆に考えてみれば、効かない患者は高額な分子標的薬や抗体医薬を投薬されても、治療効果は期待できず、副作用のリスクだけに曝されることになる。一方、先進国では人口の高齢化と技術革新によって、猛烈な勢いで医療費は高騰し続けている。今や効くかどうか分からない患者にまで投薬する余裕はどの国も持ち合わせていない。こうした21世紀の創薬の矛盾を全て解決するのが個別化医療だ。投薬前に予め効果がある患者、副作用の少ない患者を鑑別する診断薬を新薬と同時開発することが、個別化医療の実現の鍵を握っている。
また、ブロックバスターに酔い、すっかりバブリーとなった企業の研究開発と営業体制を見直すことも避けられない。わが国でも個別化医療というビジネスモデルの転換は始まっている。