一般社団法人 米国医療機器・IVD工業会

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第3集

骨・関節の病気、けが-【変形性膝関節症】両膝の一部を人工関節に

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50代半ばごろから、両膝に痛みを感じていました。長時間の正座や草取りから立ち上がるとき、掃除機を持って階段を上り下りするときなど、いつも痛みがあり、「私は膝が悪くなってきたのだなあ」と思っていました。でも、痛みは長く続かず、歩くときも痛くなかったので、特に治療をせずに過ごしていました。

当時、脳出血で右半身が不自由になった母の介護をしていましたが、母をおんぶして2階への上り下りは大変でした。母が怖がってしがみつくので、余計重くなったように感じたからです。

その後、7年間の母の闘病生活が終わり、私も介護が終わったため、何か習い事を始めたいと思い、友人に誘われて、演歌や歌謡曲に合わせて踊る新舞踊という踊りを61歳から習い始めました。このとき、両膝の痛みはそれほどでもなく、これから新舞踊を楽しもうと思っていました。

加藤 久恵 さん
〔72歳・女性・静岡県〕
なかなか取れなかった右膝の痛み

両膝の痛みを感じるようになってから10年くらい経った2011年の秋、突然、右膝に激痛が走り、歩けなくなるほどの痛みが続きました。65歳のときです。近くの整形外科クリニックに行き、X線検査を受けた結果、加齢による変形性膝関節症と診断されました。

その後1年ほど、通院して治療を受けましたが、右膝の痛みはまったく取れません。

ときには水を抜いてヒアルロン酸を注入する治療も行いましたが、注射が痛くて、とてもつらかったです。そんなある日、クリニックの先生から「右膝は半月板が悪いのかもしれない」と言われ、別の病院でMRI検査をしました。結果を聞きにいつものクリニックに行くと、「右膝は、やはり半月板の損傷が原因だから手術した方がよい」と、手術を勧められたのです。

湯河原病院の道下みちした 和彦かずひこ先生のことは、道下先生の手術を受けた家族がいる友人から 「膝の手術をするなら、湯河原厚生年金病院(当時)の整形外科の道下和彦先生という、よい先生がいらっしゃる」と教えてもらいました。クリニックの先生に紹介状を書いてもらい、2012年12月、道下先生にお会いして半月板の手術をお願いしました。加齢による変形性膝関節症に半月板損傷を合併しているが、変形がまだ軽度で痛みの主な原因は半月板損傷なので、より体への負担が少ない内視鏡手術からというご判断でした。

その翌月に、内視鏡で右膝半月板損傷の手術をしていただき、10日で退院しました。

右膝の痛みは軽くなりましたが、新舞踊は、湿布を貼って痛みをこらえてお稽古する状態でした。痛む右膝を無意識にかばっていたためか、左膝の痛みもだんだん強くなっていきました。

痛みの原因が分かった

手術後の経過観察で湯河原病院を受診した際、両膝のX線写真を撮りました。そこで改めて自分の膝の状態を見てびっくりしました。左右とも内側の軟骨がすごくすり減っていて、外側でなんとか持ちこたえている感じです。半月板損傷に合併していた変形性膝関節症が進行して、痛みが増してきていたのです。特に、痛みが強い右膝の方は、手術で半月板を部分切除していたので、軟骨のすり減りがひどい状態でした。

ショックでした。道下先生は、このままだとこの膝がいつまで持つか分からない状態ですと説明してくださり、自分の膝なのに何も分かっていなかったことに気づきました。 そして、2014年1月に右人工膝関節部分置換術を受ける決心をしました。手術前は、痛みで正座も膝をつくこともできなくなっていました。家にいる時間が長くなってお化粧もおしゃれもしなくなり、ヒールのないぺたんこの靴を履いて近所のスーパーに行くくらいになっていた私は、手術をすればこの痛みから解放されて、どこへでも行ける、踊りも続けられる、そんな楽しいことを考えていました。

入院日が近づくにつれ、自分の膝が人工のものになるというのはどんな感じだろう、手術後やリハビリは痛いのだろうなと不安になってきましたが、道下先生は、実際の人工膝関節を用いて、手術や手術後の生活のことなどをしっかり説明してくださいましたので、「絶対大丈夫、決めたのだからやるしかない」と思いました。

手術は無事終わり、先生から「思ったより悪かったけれど、もう大丈夫」と声をかけていただきました。術後3日目からリハビリが始まり、車いすから杖へと、順調に回復していきました。退院後数カ月は外出の際に杖を突いていましたが、1年後には泊まりで旅行にも行けました。人工膝関節ですので正座はできませんが、あれだけつらかった右膝の痛みは嘘のように消えて、新舞踊にも手術から半年で復帰できました。

右の人工膝関節部分置換術から2年ほど経って、いつか起きると覚悟していた左膝の激痛に襲われました。左も痛くなったら道下先生に同じ手術をお願いしようと心に決めていましたので、すぐに道下先生にお願いして、2016年6月、左人工膝関節部分置換術を受けました。これでもう私の膝は手術しなくていい、前の自分に戻れたと思いました。手術から5カ月後には新舞踊の発表会にも出ることができました。道下先生には感謝しかありません。

今は年に1度の新舞踊の発表会に向けて、楽しくお稽古に励んでいます。痛みはまったくありません。年齢もあって、膝の不調や痛みを訴えるお稽古仲間が増えてきていますが、私は膝の痛みからも手術の心配からも解放された日々を送っていますから、仲間たちから羨ましがられています。外出も楽しくて、はやりの御朱印帳を持って、神社めぐりもしています。

今の生活があるのは、先進的な医療技術のおかげです。人工膝関節で元の生活に戻れたことに感謝し、この技術の素晴らしさを伝えていくことが、先進的な医療の恩恵を受けた一人としての使命だと感じています。本当にありがとうございました。

【担当医からのひとこと】

体への負担の少ない人工膝部分置換術

現在日本では年間8~9万件の人工膝関節置換術が行われています。筋力トレーニング、ヒアルロン酸関節内注射といった通院治療が功を奏しなくなれば、手術を考慮することになりますが、体に負担のかかる大きな手術だと聞いて、痛みを抱えたまま生活の質を下げることで手術を回避する患者さんもいらっしゃいます。

実は、人工膝関節置換術には全置換術と部分置換術があるのですが、部分置換術は10%程度しか行われていません。軟骨のすり減り部分が広範囲に広がっていれば全置換術でしか対応できませんが、膝の内側だけに限局した軟骨のすり減りで、前十字靭帯という膝関節内靭帯が温存されていれば、部分置換術で対応できるのです。しかし、医師の側が確実性を期して全置換術を選択することがまだまだ多いのが実情です。

部分置換術の最大の利点は、人工物といっても十字靭帯を温存しているため違和感も少なく、体にかかる手術の負担も全置換術に比べて3分の1程度と少ないことです。

加藤さんは自分の膝が人工のものになるという点を非常に不安に感じておられたので、「部分置換は病変部を削ってかぶせ物をする虫歯の治療のようなイメージ」と例えて説明しました。実際に右膝の部分置換術を受け、違和感が少ないことを身を持って経験していたので、逆膝のときはご自身で手術のタイミングを決断されました。膝の痛みから解放されて、今後も活動性の高い、楽しい充実した生活を送ってほしいと思います。

道下 和彦 先生
JCHO湯河原病院整形外科
副院長・統括診療部長

人工膝関節部分置換術

変形性関節症などが原因で膝関節のすり減った片側だけを取り除き、大腿骨(太ももの骨)と脛骨けいこつ(すねの骨)側に金属製の部品を入れ、その間に軟骨の代わりになる超高分子ポリエチレン製部品をはさみ込む手術。膝関節の問題が片側だけにある場合に部分置換術が適用でき、人工膝関節全置換術に比べ手術による切開も小さく、骨を削る量も少なく、膝関節周辺の靭帯が温存できるため、早期機能回復が期待できる。

部分置換型人工膝関節
全置換型人工膝関節
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